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奄美復帰60年 ⑨

ある日私はある方に予告もなしに「オジギソウ」の花をプレゼントした。
オジギソウを手渡すとその方の頬に涙がこぼれた。
平成22(2010)年9月下旬のことだった。
 A

その方とは大島紬を世界に広めた「藤絹織物 都喜ヱ門」の娘、
薫(かおり)さんだ。
※(ブログに実名を出すことを了解頂いた)
※(オジギソウは鹿児島県北部東郷町のKさんに頂いたもの)

アメリカ軍が沖縄を占領しいざ本土決戦と言うとき、
奄美の母子たちは本土に疎開を余儀なくされた。
薫さん達もお父さんを島に残して奄美を脱出した。
途中米軍に撃沈されて海の藻屑となった子供たちも多いという。
※資料を見ると沖縄・奄美諸島から出航した、
 対馬丸他30隻弱の疎開船が撃沈されている。

鹿児島に無事上陸出来た一行は汽車を乗り継ぎ人吉(熊本県)へ。
その先徒歩で行き着いたところは何と五家荘辺り。
終戦までその辺境の地で怯えながら過ごした。

その地で咲いていた可憐な花が「オジギソウ」。
50~60年経った今でも忘れていなかった。
薫さんにとっては忘れえぬ心の花だった。
 C 庭B
    (東郷町の名家Kさん宅の庭で)

終戦を迎え日本は自由の国に生まれ変わった。
がしかし、奄美群島が本土復帰を果たしたのは終戦から8年後の、
昭和28(1953)年12月25日。
島民の人々の必死の運動が実を結んだ。
沖縄が返還されたのはそれから19年後(昭和47年5月)になる。
1964年東京オリンピックの時はまだ外国だった。

島に残っていた都喜ヱ門(本名ではない)さんは、
米軍管理下にある中密かに小舟で密航を企てる。
命の保証などない中で決死の脱出劇だった。
幸いにことがうまく運び鹿児島に無事到着。
その後一家は鹿児島市内のいづろ近辺に居を構える。
初めはキャンデー売りで細々と命を繋いだ。

⑩へ続く

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テーマ : 鹿児島
ジャンル : 地域情報

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