奄美復帰60年 ⑤
「それもあります。
全国から多数の不満の声が届いた。
そのこともあり映画化も十分可能だという確信に繋がった。」
と山田監督。
寅さんシリーズ最終作(48作目)「男はつらいよ 寅次郎紅の花(くれないのはな)」
※平成7(1995)年12月公開 観客動員数170万人
は、リリー(浅丘 ルリ子)の住む奄美大島の加計呂麻(かけろま)島が、
メインのロケ地だった。
私はこの映画は涙なしでは見れない。
何故なら「渥美清」さんのロケ中の病状が
最悪の状態だったことを知人に聞いていたからだ。
主治医もとても出演は不可能だと言っていたという。
ロケ場所は鹿児島市磯。
ぢゃんぼ(両棒)餅屋が5~6軒並ぶ海道筋。
(仙巌園の近く。普段は通行車両が多く大渋滞する)
僅かな時間だったが奄美に行く途中立ち寄っている。
「元祖中川家」の縁側から柴又のくるまや(さくら(倍賞千恵子)は不在だった)に、
電話するシーンがある。


下の画像のみ拡大します。
地域の皆さんは撮影スタッフに休憩所を提供した。
たまたま寅さんの休憩所に指定されたお宅が私の知人宅だったので、
寅さんの休憩中の様子を教えてくれた。
「渥美清さんの様子は尋常ではなかった。
苦しそうでとても撮影に耐えられそうな状態ではなかった。」と。
DVDで再三確認するが、そのような様子は微塵も見えない。
ただ、冒頭の「美作(みまさか)滝尾駅」券売所の窓口から
顔を出すシーン(係りは桜井センリ)は
明らかに顔が浮腫んでいる。
(肝臓癌から肺にも転移していた)
※参考
作州(さくしゅう)美作国は宮本武蔵が生まれ育ったところ。
(播州播磨国(ばんしゅう はりまのくに)との説もある)
美作滝尾駅はJR西日本 因美(いんび)線(岡山県津山市)にある。
oht3236さん 制作
「美作滝尾駅」
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「紅の花」は寅さんの状況を考えて、
殆ど座った状態で撮影を行ったという。
⑥に続く
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全国から多数の不満の声が届いた。
そのこともあり映画化も十分可能だという確信に繋がった。」
と山田監督。
寅さんシリーズ最終作(48作目)「男はつらいよ 寅次郎紅の花(くれないのはな)」
※平成7(1995)年12月公開 観客動員数170万人
は、リリー(浅丘 ルリ子)の住む奄美大島の加計呂麻(かけろま)島が、
メインのロケ地だった。
私はこの映画は涙なしでは見れない。
何故なら「渥美清」さんのロケ中の病状が
最悪の状態だったことを知人に聞いていたからだ。
主治医もとても出演は不可能だと言っていたという。
ロケ場所は鹿児島市磯。
ぢゃんぼ(両棒)餅屋が5~6軒並ぶ海道筋。
(仙巌園の近く。普段は通行車両が多く大渋滞する)
僅かな時間だったが奄美に行く途中立ち寄っている。
「元祖中川家」の縁側から柴又のくるまや(さくら(倍賞千恵子)は不在だった)に、
電話するシーンがある。


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地域の皆さんは撮影スタッフに休憩所を提供した。
たまたま寅さんの休憩所に指定されたお宅が私の知人宅だったので、
寅さんの休憩中の様子を教えてくれた。
「渥美清さんの様子は尋常ではなかった。
苦しそうでとても撮影に耐えられそうな状態ではなかった。」と。
DVDで再三確認するが、そのような様子は微塵も見えない。
ただ、冒頭の「美作(みまさか)滝尾駅」券売所の窓口から
顔を出すシーン(係りは桜井センリ)は
明らかに顔が浮腫んでいる。
(肝臓癌から肺にも転移していた)
※参考
作州(さくしゅう)美作国は宮本武蔵が生まれ育ったところ。
(播州播磨国(ばんしゅう はりまのくに)との説もある)
美作滝尾駅はJR西日本 因美(いんび)線(岡山県津山市)にある。
oht3236さん 制作
「美作滝尾駅」

「紅の花」は寅さんの状況を考えて、
殆ど座った状態で撮影を行ったという。
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