奄美復帰60年 ③

私たち夫婦が観光で徳之島を訪れたのは昭和56年頃。
離島を訪れたのは沖縄に続いて2回目だった。
何故奄美群島の中の徳之島だったかと言うと、
空港にジェット機が発着するようになったから。
確か奄美大島より先だったと思う。
(資料を調べてみると1980年(昭和55年)6月徳之島空港は、
滑走路が2000mになり奄美群島初のジェット機の
離発着できる空港となった)

これまで私は50回ほどは空を飛んでいるが、
未だにプロペラ機の搭乗はない。
プロペラ機を極度に怖がる私だった。

当時は街中に信号は無く、自動車学校のみ信号があると聞いた。
ホテルは港の見える丘の上にあった。
屋外の芝生の上での夕食は、
忘れもしない「リチャード・クレーダーマン」が流れていた。

島内を巡る路線バスはどこでも乗り降りできた。
バス停はあったのかもしれないが、
どこでも合図をすれば止まってくれた。

勿論、十分に楽しめる観光地はたくさんあった。
砂浜の波打ち際で熱帯魚も泳いでいた。
両手ですくってすぐ獲れた。

大久保町長は子宝と長寿の町だと胸を張った。
徳之島3町の出生率は全国で1位~3位らしい。
親子3代が近くに住み、みんなで子育てをする。
島の方言「島口」も大事に残していきたいと。

今、鹿児島県や奄美群島の皆さんが富士山もなしえなかった、
世界自然遺産の登録指定に奔走している。
その前に国立公園化も目前だ。

現在沖縄には割安料金で航空機を利用できるが、
奄美群島にも適用するように国に強く要請している。
実現すると奄美にもっと観光客が増えると期待する。

それらが実現することで若い世代がもっと自信と誇りを持ち、
経済的にも文化的にも心の豊かな奄美にしたい。
と、大久保町長は夢を語った。

④に続く


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