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薩英戦争と英国留学生 ⑥

P9070025若き薩摩の群像

150年前、英国艦隊が波静かな錦江湾に現れた。
軽く脅すつもりが薩摩藩の反撃に遭い大激戦に。
薩英戦争後の外交交渉の機転により、
日本は植民地化されないで済んだと歴史家は口々に言う。

それから2年後の1865年4月17日留学生一行は
いちき串木野市(現在)の羽島浦からランチに飛び乗り、
沖で待つ「オーストレイリアン号」に乗り移った。
二度と故国の大地を踏むことがないかも知れない、
決死の覚悟の旅立ちであったと思う。
羽島浦
羽島から東シナ海を望む

恵比寿 記念碑
 恵比寿神社と記念碑

ここ羽島漁港は現在記念館の建設中だった。
岸壁を乗り超えて岩場に立ってみた。
その先は東シナ海が広がり、またその先は世界の大海原に繋がっている。
彼らは幾ばくかの不安と重責の中にも、未知の国への大いなる野望と期待が、
胸の中では沸々と燃え滾っていたのだろう。
それは後に各分野で多大な貢献を成したことでも明らかだ。
名前をあげたらきりがない。
各人の功績を逐一あげたいところですが,
画像でお確かめください。
足跡
留学生の足跡

私は目の前のある一点を見つめていた。
2羽の海鳥が寄り添って羽を休めている。
そこは皆がランチに飛び移った瀬の岩場で、
150年後の今でも変わらずそのまま、
目の前に波を受け浮かんでいる。
瀬 ランチ瀬
 留学生がランチに飛び乗ったという瀬(小さい島)

目を閉じてみた。
その時の光景が脳裏に浮かぶ。
何故か自然に瞼が熱くなった。

日本の黎明期を創り上げた幕末の激動の時代から、
今年は150年の節目の年にあたる。
薩摩藩は日本の辺境の地にありながらも、
残した功績は余りにも大きかった。
その血が私たちにも脈々と流れている。

若きソラリア 若きアミュ
 鹿児島中央駅前東口広場「若き薩摩の群像」
昭和57年3月 制作 中村 晋也

番外編から思わぬ方向へ走ってしまいました。
事前の企画検討もなく思うままに進めてきました。
皆様にはここまでお付き合い頂き感謝に耐えません。

動画も用意したいと思いますが、少々時間が掛かります。

次回からはまだ何をやるかは決めていませんが、
データの在庫は豊富です。
次の企画を楽しみにお待ちください。

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