スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

薩英戦争と英国留学生 ④

賠償金は払う。
捕虜2名を返せ。(拿捕時に2名捕虜にしていたが既に解放していた)
軍艦の購入の手助けをしろ。
船員の育成をしてくれ。

現実的な交渉のできる薩摩を好意的に見た英国は、
和睦に傾いていく。
英国は生麦事件の犯人の処刑を要求していたが、
チャッカリ有耶無耶にしてしまった。
賠償金は幕府に用立ててもらったがこれも返してはいない。

薩英戦争で捕虜となっていた五代才助(友厚)と松木弘安(寺島宗則)は、
米国商人ヴァン・リードに脱出を手伝ってもらって隠れていたが、
その後英国留学生派遣のために大いに活躍する。
特に五代友厚の活躍は薩摩にとって大きかった。
以前から親しかった英国商人「トーマス・ブレイク・グラバー」の
協力のもと(長崎ではかくまってもらっていた)、英国留学の計画が着々と進む。
二人はグラバーの支援のもと船の手配に奔走した。

若き薩摩の群像
「若き薩摩の群像」鹿児島中央駅前

秘密裏に英国と留学生受入の交渉をしていた薩摩藩は、
蒸気船「オースタライエン号」を調達して、
薩英戦争から約2年後の1965年4月17日、
留学生15名・使節員4名合計19名を、
串木野羽島浦から出航させた。
いわゆる英国留学生の使節団だった。
その中には五代と松木も合流していた。

幕府へは近隣の島嶼(とうしょ)への出張と届け出ていた。

次回に続く

ブログランキングに参加しています。
よろしければクリックをお願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ : 鹿児島
ジャンル : 地域情報

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

シッタレ

Author:シッタレ
FC2ブログへようこそ!

Web page translation
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。