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薩英戦争と英国留学生 ③

「英国艦隊撃退されたもよう」!!

薩英戦争のニュースはアメリカに渡り世界を駆け巡った。
英国本国には詳細に報告されるが、鹿児島市街地を焼失させた行為について、
やり過ぎの批判も相次いだ。
英国議会で激しいやり取りがあったこともあり、
日本の薩摩の名は英国は勿論のこと世界に知れ渡った。

薩摩藩は薩英戦争以前より錦江湾内の防備を強化してきた。
鹿児島市天保山(てんぽざん)一帯では島津 斉彬公の指揮の元、
藩を上げて外敵への訓練を怠らなかたのだ。
(今の天保山中学校横には当時の陣屋跡の碑がある)

少し海岸の方に入ると天保山公園内に、当時の砲台跡が残っている。
(鹿児島市内にはもう1カ所祇園之洲にも残っている)
公園への道路脇には当時からの松並木が続いていて、
往時を偲ばせる。
天保山公園
天保山公園
砲台跡A 砲台跡
 砲台跡

敷石1 敷石2
 砲台跡の敷石が丸く残る

戦闘図 戦闘図解説
 戦闘図と解説
青い線が当時の海岸線ですが湾岸の埋め立てが進み、
現在では海岸線から少し内陸になっている。
周りはマンション等が取り囲み眺望はほぼない。
天保山は④

⑫・⑬沖小島との間に機雷(電気水雷)が敷設された。
現在は大正溶岩流が流れ込み島との間が狭くなっているが、
当時はまだかなり広かったと思われる。

公園

英国は今後の交渉次第では大艦隊と地上戦を念頭に、
数万人規模の兵隊の派遣まで考えつつあった。
薩摩の善戦により一時は国内で称賛の声もあったが、
圧倒的な火力の差を見せつけられたことも事実であった。
ここが存亡の決断の時と考えた薩摩藩は、
英国に意表を突く提案をする。


今回からタイトルを替えました。
番外編からの続きです。

④に続く。
暫く続きそうです。

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ジャンル : 地域情報

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