湯之平展望所 番外編②

一方薩摩藩の被害はどうかと言うと,
死者5~8名ほど、それに拿捕されその後破壊された汽船を含め、
船舶が数隻だった。
しかし、焼失した家屋が500戸に及びこの衝撃は大きかった。

今年は「薩英戦争」150年目にあたり、記念の行事がいろいろ予定されているようだ。
それに合わせて南日本新聞は「衝突が生んだ友好」と題して、
7回のシリーズ特集を組んだ。
私はちゃっかりといくらか参考にさせて頂いた。

英国艦隊
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この図は「湯之平展望所」に設置してある説明版。
英国艦隊の航跡図と薩摩藩の砲台位置である。

これによると、
英国艦隊は7月2日午前第一位置海上に停泊。ここは現在も残る「大門口」前になる。
(その後鹿児島市の海岸は大規模な埋め立てにより大門口は内陸にある)
少し移動し第二位置に停泊。
その後磯仙巌園・集成館より少し先、三船村(現在三船療養所がある)沖合で迂回。
よせばいいものを陸地に近接し鹿児島城下沖を航行。
薩摩藩より一斉に大砲の火が噴いた。
14時ころ英国艦隊もようやく反撃し、激しい戦闘が開始された。
薩摩側のまさかの砲撃に英側の反撃は遅れたらしい。
一切の砲撃が止んだのは7月2日3時28分だった。

結果はその時想像だにしなかった旗艦「ユーリアラス号」の艦長及び副長が戦死。
薩摩藩側の家屋焼失等被害も大であったが、英国艦隊の被弾も激しく損傷は甚大であった。
谷山沖で応急修理をした艦隊は横浜に向け帰還する。
数日後横浜に到着するが、英艦船の損傷があまりにも激しく、
まさかの惨状に人々は目を疑ったという。

先ほどの航跡図を見て下さい。
沖小島との間に水雷(機雷)を仕掛けたことが記されている。
残念ながら敵艦隊はその間を通過せず、
作戦は失敗に終わった。

余談ですが桜島横山下にある島は「烏島(からすじま)」。
大正の大噴火により溶岩が流出。
約500m先の海上にあった島を覆い尽くし、
現在では陸続きになって展望所として残っている。

神瀬灯台
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沖小島の左少し上。
「神瀬」と表記されているところ、
現在は白い灯台(神瀬かんぜ灯台)が設置されている無人島。

次回に続く

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