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岩剣神社 4

タイムスリップしてここは4ヶ月後の2012年12月29日。
岩剣C
近所の子たちが何とはなしに境内を散策していた。
画像が途中で僅かですが切れています。写真上をクリックして下さい。

岩剣D
121229_141508岩剣神社E
苔生した石橋の欄干が往時を偲ばせる。

岩剣城案内板
「岩剣城案内板」

島津義弘はここを踏み台として、戦国の世を縦横無尽に駆け回った。
戦歴をご紹介しておきます。

◎岩剣城(いわつるぎじょう)の戦い (現 姶良市姶良町重富 鹿児島県)
 1554年 義弘(二十歳)
 義弘初陣

◎木崎原(きざきばる)の戦い(現えびの市 宮崎県)1572年 (38歳)
 日向の雄伊東氏3千騎に対し、義弘軍は10分の1の300騎で襲い掛かり、
 壊滅状態に・・・・九州の桶狭間と言われる。

◎耳川(みみかわ)の戦い{高城川(たかじょうがわ)の戦い)} (現児湯郡木城町 宮崎県)
 1578年 (44歳)
 島津軍2万騎強に対して大友宗麟(キリシタン大名と言われた)軍3万~4万騎
 死闘の末大友軍を撃滅。

◎沖田畷(おきたなわて)の戦い(現島原半島 長崎県)1584年 (50歳)
 肥前の熊・龍造寺 隆信3万騎を島津軍5千騎で撃破。

◎戸次川(へつぎがわ)の戦い (現大分市 大野川)1587年 (53歳)
 この戦いで勝利しほぼ九州を制圧した。
 しかしこの勝利は束の間、その後じりじりと秀吉に押されついに屈するのである。

圧巻は
◎泗川(しせん又はサチョン)の戦い 1598年 (64歳)
 第2次朝鮮征伐(慶長の役)、秀吉死去により撤退命令が出され、
 各諸将の退却が始まった。
 殿(しんがり)を申し出た島津軍(7千騎)は泗川新城で
 明・朝鮮軍約20万の大軍と対峙した。
 2名の決死の自爆と運にも恵まれた島津軍は、20万(3万~10万と言う説も)の大軍を
 壊滅させてしまった。
 後に義弘公は現地で「鬼石曼子シーマンズ(鬼島津)」と呼ばれ恐れられた。

◎関ヶ原の戦い(敵中突破) 1600年 (66歳)
 西軍総崩れの中で島津勢1000騎弱は、退却を余儀なくされていた。
 思案の末義弘は驚愕の敵中突破を敢行した。
 泗川の戦いでの鬼神の退却戦が脳裏を過(よぎ)った東軍の諸将は、
 ただ手を拱いて棒立ちになって見送った。
 正に敵将家康の直前を通過したという。
 我に返った東軍は追撃を開始した。
 島津軍戦法の「捨てがまり」等を駆使し、なんと義弘は敵中突破をやって退けた。
 所謂「関ヶ原の退き口」と呼ばれる。
 追撃した徳川四天王の一人、井伊直政を落馬させ負傷させている。

と、歴戦に歴戦を重ねる華々しい戦績を残した。
昨年だったかNHKの視聴者番組で、大河ドラマ化の要望が6位にランクインしていた。
是非、大河ドラマでもその勇姿を観たいものである。

今回は今日で終わりにします。
島津義弘公についてはこれからも度々取り上げたいと思っています。

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No title

シッタレさん、こんばんは。

10年もの長きに渡って探し求めておられた岩剣城跡・・
・・見つかった時には、どんなにか感動されたことでしょう。
よかったですね。

恥ずかしながら、島津義弘公のこと、ほとんど知りませんでした。
今回の記事を読ませていただいて、ぜひぜひ大河で取り上げていただきたいと思いました。 

クラリンドウの花は見たことがありませんが、12月2日の記事を拝見すると、
ほんとう、クサギにそっくりですね。
いろんなことを教えていただき、ありがとうございました。

島津

こんばんは、お久し振りです。

島津家の絡む小説を書き上げ、もうすぐ出版です。
鹿児島藩は麓制度を取り入れ、一国一城の法の網を
潜りぬけましたね。
ほかにも独特の政治を行った鹿児島、興味深い藩です。

続編を楽しみにしています。

Re: No title

> petero kさん、こんにちは。

> 今年も無理せずお互い頑張りましょうね。
 
  私は実は幕末よりも戦国時代のほうが断然好きです。
  名だたる武将に纏わる本は撃破したつもりです。
  しかし、その中でも義弘は格別です。
  地元贔屓を差し引いても有り余る戦績を残しています。
  地方の武将として評価はもう一つですが、
  私は三大武将に並び称される人だったと思っています。

  ただ惜しむらくは次男だったこと。
  長男、義久の抵抗を受けること度々。
  関ヶ原でも数万の大軍を出して貰えず、
  僅か1000騎で赴いたのでした。
  (このへんの事情は「島津奔る」新潮文庫 池宮 彰一郎著 に詳しく書かれています)

  島津が5000騎居たら関ヶ原は変わっていたとも言われています。
  たった800騎で東軍の度肝を抜いたのですから。 

Re: 島津

> 白秋マダムさん こんにちは。
 コメントありがとう御座います。
 
 そう言えば島津関連の本を出されると言われていましたよね。
 出版されたら是非教えてください。
 読まさせて頂きますから。
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