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マカオ・ザビエル・鹿児島

ザビエル一行は伊集院に赴き領主「島津 貴久」に謁見する。
貴久はザビエルに好意を持ち一時薩摩での活動を認める。
また、義弘(15歳)も大いに興味を持ち一行と接触を持った。
特に最年少18歳の「ゴンザレス」とは仲良くなり、
薩摩に滞在した1年弱をゴンザレスと語り明かした。
この体験が義弘の後の活躍に大いに役立ったと言える。
(江宮 隆之著 島津 義弘 より)

薩摩滞在10カ月の頃、仏僧らからの諫言を受け入れ、
貴久はザビエルの布教活動を禁止する。
一行は鹿児島を離れ北上する。

各地を転々とし京に上る。
京での活動ははかばかしくなかった。
一行は失意の思いで京を離れ平戸に向かう。僅か1カ月弱の滞在だったという。
山口に滞在している折、豊後(大分)にポルトガル船が入港したことを知り、
豊後に向かう。
豊後では後にキリシタン大名と言われる、
大友 宗麟と出会い布教活動を許される。

日本滞在が2年になりゴアからの情報がない事を憂慮し、
ザビエルはここで一旦ゴアに戻ることを決めた。
1551年11月15日豊後を離れる。
約2年間の日本滞在の半分は薩摩での滞在であった。

時は移り、1999年ザビエル日本上陸450年祭が、
ここ鹿児島で大々的に行われた。
「ザビエル上陸450周年記念ホームページ」クリック

同年10月、「ザビエルのミイラ化した右腕下部」が、
鹿児島のザビエル教会に展示された。
すごい数(数万人だったのでは)の市民が教会に列を作った。
もちろん私も家族で行き、貴重なものを見せてもらった。
おそらく「ジェズ教会(ローマ)」の協力のもとで、
実現したものだと思う。
「ジェズ教会」クリック

最後に、ザビエルが日本人(薩摩)感を、
ローマに書き送っている。
*いままで出会った民族の中で最も優れている。
*悪意がなく、接する態度も好感を持てる。
*名誉心が極めて強い。
*貧しさを恥と考えていない。
 等々、識字率が高く、礼節を重んじる、
 最も優れた民族と褒め称えている。

「フランシスコ・ザビエルの日本人観」クリック

現代の日本人。当時を少し見習うべきだと思いませんか。

脇道に逸れましたが、次は再びマカオに戻ります。

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テーマ : マカオ
ジャンル : 海外情報

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