小松帯刀 墓所 ②

この珍しい墓石の型について、
入口の案内板に説明があった。

石の祠(ほこら)の中に御霊代(みたましろ)がある、
石祠型(せきしがた)という。
薩摩の上級武士の墓として江戸初期から普及した。
他に宝篋印塔型(ほうきょういんとうがた)もあり、
この二つの型で大半を占めていると。

「石祠型」はわかったが「宝篋印塔型」はどんなか?
調べてみた。
宝篋印塔について

他に「五輪塔」「宝塔」「多宝塔」「層塔」「多層塔」
等がある事を知った。

これまでこのような圧倒感を持って、
石祠型が整然と多数に林立している、
墓石群を見た記憶がない。
以前訪ねた他の墓地の写真を見直してみた。
あるにはあったがほとんど目立たない。
他の墓地は「五輪塔」が多いような気がする。

それでは先ず見取図から。
見取図
見取図最下部中央 29代「小松帯刀」
最下部左 29代夫人「千賀(お近さん)」
上から2列目左 琴仙子(お琴さん)
上から2列目右から2番目 30代「清直」(琴仙子の子)

 お近さん 
  小松近(千賀 )第29代小松帯刀夫人
後で気づいたが花が花立ごと倒れていた。


お琴さん お琴さん銘板
お琴さん「琴仙子」

墓所奥から 
墓地奥から

帯刀 帯刀銘板
 第29代「小松清廉(きよかど)帯刀」

帯刀・お近さん 昭和天皇より
帯刀右・お近さん左 (花を立て直してあげた)

30代清直
30代「清直」琴仙子の子(写真左側)
多分墓石は「宝篋印塔型」

再度入口より
再度入口付近から

大河ドラマ「篤姫」を思い起こしてみた。
激動の時代に僅か36年とはいえ、
大きな足跡を世に残した薩摩の武人の、
また、その周りを取り巻く人々の、
古(いにしえ)の痕跡がここには眠っていた。
この墓石群が私に圧倒的な迫力で、
問いかけて来る力を感じた。
今のままでいいのかと。

紫陽花の路 裏手田園風景
 
帰りは紫陽花路を抜け感慨に浸りながら、
坂道を下ってきた。
ふと見ると少し先が開けていたので向かってみると、
田植えが始まった田園風景が広がっていた。
この一帯は鹿児島の胃袋を支える穀倉地帯である。

話はこれで終わるはずだった。
でも。
③に続かねばならないことが起こっていた。

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