宗谷岬へ ひた走る!! ③

この後ろ姿は「間宮林蔵」像です。
この宗谷岬に来るまですっかり忘れていました。
約20年位前 伊能忠敬の生涯(特に50才過ぎてからの)を著わした
「四千万歩の男」 井上ひさし著 を貪るように読んだのを。
今回一部読み直してみました。
かなりの部分が記憶から飛んでいました。
その第二巻(全五巻) 忠敬一行が蝦夷地箱(函)館を出発しほど近い大野村で
その人「間宮林蔵」と初対面する。
(大野村は現在は北海道新幹線終着駅「新函館北斗駅」のある北斗市。
1800年7月20日(忠敬 2日宿泊)
※参考 伊能測量隊宿泊地 Googleマップ 測量次選択-伊能忠敬研究会
を参考にさせて頂きました。
林蔵は忠敬が測量技術の手ほどきを習った師と言える「村上 島之丞」の
下役人として蝦夷地に赴任していた。
「島之丞様が是非お会いしたい」との言伝を持って来たのだった。
その時「伊能様が国後までならその以北を私に残しておいてもらわないと
困ります。」「樺太まで行けば日本で一番北へ行った男になれます。」
言い放った・・・らしい。(あくまでも四千万歩の男での創作会話ですが)
その当時は小生意気なずけずけと遠慮のない若造だった。
若干19歳(20歳?)でした。
その時忠敬に軽く地図作成技術の手ほどきを受けます。
その後江戸にて本格的に忠敬に入門してあらゆる技術を習得するのです。
その後2度の樺太探検を敢行し「間宮海峡」を発見します。
大陸に渡り現地を見て回った史実もあるようです。
後に忠敬がやり残した北海道全域を測量して回り北海道全図を完成させます。
そして伊能忠敬の作成した地図と合わせて日本全図が完成するのです。
その精巧さは欧米列国が驚嘆するほどの完成度だったといいます。

④に続く。
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