ベニシジミとデージー

ベニシジミ クリックして下さい。

撮影 12/15 2014 14:30
場所 南さつま市金峰町

[蝶]
ベニシジミ
シジミチョウ科

蝶類は世界で2万種もいるそうで、その中の約40%が
シジミ蝶だそうです。
ベニシジミは濃いオレンジ色に黒の斑点が特徴のようです。
普通は翅を閉じてとまっていて保護色の灰色が見えているので、
さして美しいシジミとも思えない姿。
開いて止まっている姿を見れたのはラッキーだったようです。

[花]
チロリアンデージー ロベラ
キク科 ヒナギク属
和名  ひな菊

花の名前が判らずキク科の中で特にデージーに近いかなと思い
探していたら、やっとそれらしき花が出てきました。
チロリアンということで同品種に「ハイジ」「クララ」「ヨーゼフ」等が
あるそうです。

この日は晴れで雪国の皆さんには申し訳ないような
ポカポカな陽気でした。
お客様宅の入り口で石垣の上の花壇で見つけました。
薄ピンクの花の蜜を吸うオレンジのシジミチョウが目につき、
携帯で写しました。
たまたま近くを通ったので寄ってみたお客様でしたが、
生憎留守で3分位で引き返してきたのですが、
まだこの状態で蜜を吸っていました。

15日がこの陽気だったのに17日は桜島の初冠雪です。
冬の天気は我がままです。

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メリークリスマス

曇ったり 変な天気が続いてます
シジミチョウ 冬に 撮れるなんて よほど
すごしやすい環境なんでしょうね

No title

シッタレさん こんにちは。

チョウの種類が2万とは スゴイですね~
その中の40%がシジミチョウ・・・
シジミチョウは閉じているとグレイであまり目立ちませんが
羽根を開くと 綺麗ですよね。 
ベニシジミの仲間も ミドリシジミやルリシジミの仲間も綺麗ですね。
小さな昆虫の一つ一つも最高傑作に造られていてすばらしいです。

お庭の紫イベー 来春どんなふうになるのか 楽しみです♪

Re: メリークリスマス

>みかんさん メリークリスマス。

 昨晩(12/23)、娘の友達が来てくれて楽しいクリスマスの
 イブ・イブを楽しみました。
 昨日はこちらで準備したケーキをいただいたので、
 今日は彼女からお土産に頂いた「バウムクーヘン」と「プリン」で、
 2回目のイブを楽しんでいました。
 日本人にすっかり定着したクリスマス。
 それぞれの信じる宗教は違っていても他も認め合う日本人の柔軟な姿勢。
 私は大事だと思っています。
 それぞれの信じる宗教は一つであっていいんです。
 でも世界の全ての宗教をお互い認め合えば争いは無くなるのでしょうけど。

 あの時のシジミチョウは一転してこの寒空に凍えていることでしょう。
 たった1日で一気に真冬に突入してしまいました。
 

 

Re: No title

> petero kさん こんばんは。
>
 「ミドリシジミやルリシジミの仲間も・・・」

> pqtero kさんは昆虫にも長けていらっしゃるんですね。
 早速、調べてみます。
>
> 庭の紫イベー 後から後から開花していてもう本格的な咲き方です。
 ただ、ここ暫くの寒波襲来で花弁が少し焼けてしまい、
 季節的には花もしんどい状況です。
 もちろん、私も来春の状況がとても気になるところです。

 今日はクリスマスイブ。
 静かにお祈りをされていることでしょう。
 
 クリスマスと言えば遠い子供の頃を思い出します。
 私の家は極度の貧困家庭でした。
 生活保護を貰っていました。
 兄たちは学校に弁当を持って行けず(当時給食は無かった)長期の休みを
 取らざるを得ない状況でした。(私がまだ学校に行く前のことです)
 珍しくラーメンを1杯だけ頼み、家族7人ですすったこともあります。
 (1杯のかけそばどころではありません) 

 そんな極貧の家庭の中でクリスマスの夜は必ず枕元に小さな紙袋が
 置いてありました。(勿論翌朝気づくのですが)
 簡単なお菓子類だったのですが本当に嬉しかったのです。
 当然サンタさんが届けてくれたと本気で思っていました。
 
 私たちはキリスト教の信者ではないのですが、クリスマスのプレゼント
 により家族の絆がより一層深まったことは事実です。
 いまでもあの紙袋のことは鮮明に覚えています。
 
 後に私が親になったときも当然頭の上のプレゼントは、
 欠かしたことはありません。
 
 世界の全ての人々が平和で明るい世になるよう祈ってやみません。
 

No title

シッタレさん こんにちは。

私も子ども時代は生活が大変でした。
父は仕事に失敗して たくさんの借金を抱え
母も着物の仕立てをして何とか生活していました。
そんな中でも クリスマスにはシッタレさんと同じように
朝起きると 枕元に小さなプレゼントが置かれていました。
あの頃 父や母は無理をしてでも喜ばせてくれたのですね。
そして 子どもの喜ぶ姿を自分たちの喜びとしてくれたのでしょう。
ものはなくても 思いを注いでくれた両親に感謝です。

ところで 奥様 もうすっかりよくなられましたか?
私も回復し 普段通りの生活ができるようになりました。
ありがとうございます。
いつもゴスペルクラブなど若い人と接しているので
歳を忘れて無理をしてしまうことがあります。
頑張りすぎはいけません・・・いつも心にとめておかなくては
と思わされました。
ありがとうございます。

Re: No.title

> petero kさん こんばんは。

 家内もすっかり良くなりました。
 気にかけて頂いてありがとう御座います。

 petero kさんも私と同じ境遇で幼少期を過ごされたのですね。
 そんな環境の中道を踏み外さず現在に至ったこと称賛に値しますね。(笑)

 私の祖父(父方)は1代で財をなし自宅には10人もの女中さんが居たと言います。
 その時代モーターボートも所有していたとか。
 天文館の1等地に広大な敷地があったと言います。
 
 全てが狂ったのはあの忌まわしい戦争でした。
 鹿児島市内は空襲で焼け野が原。
 山形屋デパートと市役所が残っただけだったと聞きます。
 当然父達の住まいや工場は全て焼失し一文無しに。
 
 その後は先に書いた様な地獄の生活が待っていました。
 父はお坊ちゃん育ちで何も出来ず、細々と染物屋を営んでいました。
 時代が着物から洋服へと変わりとんと仕事のない、
 悲惨な生活が続きました。
 戦後生まれの私たちもその境遇に晒されたのでした。

 でも家族の絆は強い物がありました。
 中卒集団就職で都会に出た兄弟から仕送りを貰い、
 ようやく私一人は高校に出ることが出来たのです。
 私も大学への進学など考えも出来なく直ぐ就職できる
 商業高校へと進んだのでした。
 (学校からは有名男子私立高校への進学を勧められたのですが)

 でも私は本当に幸せ者です。
 お坊ちゃんで育っていたら今の私では無かったと思います。
 子供の頃の試練が今の私を作り上げて呉れたのですから。
 貧乏結構!!
 金で幸せは買えません!!
 (でも少しは欲しいかなv-415
 
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