クコと南港⑤港大火その1
間夜中の1:30分、突如として静寂の闇を切り裂くように、
けたたましいサイレンの音と半鐘の音が鳴り響いた。
ただ事ではない数のサイレンに飛び起きた。
1961年(昭和36年)10月2日のことだ。
外を見ると東の空が真っ赤に燃えている。
半端ではない真っ赤な空だ。
「大火事だ!!」
延焼の心配もあるので家族で様子を見に行くことにした。
近所の皆さんも挙ってその方向に駈けて行く。
新川に掛かる鶴ケ崎橋の所まで来ると、
(自宅から500~600m位はあるか)
町全体が地獄絵のように燃え狂っていた。
ここまで来るともう手の施しようもない状態。
まだ被害に合っていない住宅に延焼を食い止める、
ための放水が関の山だった。
高く舞い上がった火の粉は東からの強風に煽られ、
南港を越えて当時宇宿町(現新栄町付近)の、
燃料基地タンク群(数十基)の方向に火の帯となって、
襲い掛かって行った。
(燃料基地は現在もっと南の七ツ島の工場地帯に
移転している)
消防車の一部はタンク群に急行し放水を開始。
こちらからその緊迫した様子が見えていた。
中央の青い建物から左側にタンク群はあった。
手前から青い建物方向に火の帯は襲い掛かった。
鹿児島市の歴史的な大火「郡元町港大火」。
774世帯(751棟)が焼失した。
私が小学低学年の頃だった。
港大火②に続く。
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けたたましいサイレンの音と半鐘の音が鳴り響いた。
ただ事ではない数のサイレンに飛び起きた。
1961年(昭和36年)10月2日のことだ。
外を見ると東の空が真っ赤に燃えている。
半端ではない真っ赤な空だ。
「大火事だ!!」
延焼の心配もあるので家族で様子を見に行くことにした。
近所の皆さんも挙ってその方向に駈けて行く。
新川に掛かる鶴ケ崎橋の所まで来ると、
(自宅から500~600m位はあるか)
町全体が地獄絵のように燃え狂っていた。
ここまで来るともう手の施しようもない状態。
まだ被害に合っていない住宅に延焼を食い止める、
ための放水が関の山だった。
高く舞い上がった火の粉は東からの強風に煽られ、
南港を越えて当時宇宿町(現新栄町付近)の、
燃料基地タンク群(数十基)の方向に火の帯となって、
襲い掛かって行った。
(燃料基地は現在もっと南の七ツ島の工場地帯に
移転している)
消防車の一部はタンク群に急行し放水を開始。
こちらからその緊迫した様子が見えていた。

手前から青い建物方向に火の帯は襲い掛かった。
鹿児島市の歴史的な大火「郡元町港大火」。
774世帯(751棟)が焼失した。
私が小学低学年の頃だった。
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